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サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 [読書メモ2017]

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 池内恵(さとし) 2016/05

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)
著者は東大先端科学技術研究センター准教授。 オスマン帝国解体の経緯を解説する本。

 今年(2016年)はちょうど百年目。 1916年5月16日、イギリスとフランスの間でサイクス=ピコ協定が結ばれた。これにロシアも同意して、オスマン帝国の支配領域を第一次大戦後に分割する取り決めが結ばれた。
 サイクス=ピコ協定は、ロシア革命で権力を掌握したボリシェビキ政権によってその存在が暴露された。
 「サイクス=ピコ協定が諸悪の根源」と言っているだけでは、現実を理解するという意味でも、将来を見通すと言う意味でも先に進めない。
 サイクス=ピコ協定はオスマン帝国崩壊後に多様な民族・宗派・部族・党派の諸勢力がひしめく中東地域に、再び国家の秩序を与えるための解決策だった。
 しかし重要なのは、第一次大戦中に結ばれたサイクス=ピコ協定はそのまま実現されなかったという事実である。戦後に結ばれた2つの条約によって大きく修正されている。1つは1920年のゼーヴル条約、もう一つは1923年のローザンヌ条約。サイクス=ピコ協定で英仏露が描いた像は、かなりの部分画餅に帰してしまった。
 そもそもフランスは、協定で統治すると主張したシリアからアナトリア半島中南部掌握を、ほとんど進められなかった。ロシアは革命で大戦から離脱した。
 セーヴル条約では、オスマン帝国の主要部(現在のトルコあたり)は極端に細切れな諸民族の領土として分割されることになった。これを受け入れたオスマン帝国に対し、ムスタファ・ケマルらが設立したアンカラ政府は条約を拒否、トルコ独立戦争を戦い、オスマン帝国を打倒する。そして結ばれたのがローザンヌ条約。この条約で、現在のトルコ共和国の領土と国境をほぼ確定している。
 現在、ロシアとトルコの間に再び直接的な紛争の危機が高まっている。欧米諸国には、かつての「東方問題」を見ていた時のような眼差しが見え隠れする。それはトルコを問題児扱いし、同盟国としての信頼性や実行力を疑う姿勢である。 依然として西欧諸国はトルコに対する矛盾した思いに揺れている。「強いトルコ」をどこかで恐れつつ、不安定化した「弱いトルコ」が出現しかねないことをまた恐れている。
 クルド人はゼーヴル条約でトルコ南東部に自治区を約束されたが、ローザンヌ条約ではそれを否定された。 シリア北部のクルド系勢力による自治政府宣言には、シリアのアサド政権だけでなく、反体制勢力もトルコも反発している。
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