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批判する/批判されるジャーナリズム [読書メモ2017]

『批判する/批判されるジャーナリズム』 大石裕 2017/01

批判する/批判されるジャーナリズム
著者は慶応大学法学部教授。 現代のジャーナリズムの問題を論評する本。

 言論の自由の核心は、批判する自由にある。他方、ジャーナリズムを批判するのも自由でなければならない。ジャーナリズムは、自らを批判する声につねに耳を傾けなければならない。
 世論調査が新聞社や放送局などのマスメディアによって行われる場合、その結果は慎重に評価されるべきである。世論調査はマスメディアが自ら作り出した「出来事」という見方もできるからである。調査対象とする問題を選択し、質問事項や質問の仕方を決めるのもマスメディアであり、その結果を報じ、解説し、論評するのもマスメディアなのである。 マスメディアは世論調査を実施することで、世論の形成過程に積極的かつ意図的に参入し、それによって世論形成を行い、時には政策過程に影響を及ぼすことになる。
 ジャーナリズムは日々のニュースを通して、確かに多くの重要な情報を提供している。その反面、ジャーナリズムは重要な問題を見落とさせる、忘れさせるという機能も果たしている。
 「パフォーマンス政治」とともに現代のテレビ政治を考えるうえで重要なキーワード、それが「ポピュリズム」である。「ポピュリスト政治家はメディアを手段として最重要視する」(吉田徹)と述べられている。 テレビ政治によって高められた政治家に対する市民の期待は、思うような変革を達成できないことがわかると、急速にしぼんでしまう。ある意味、これはポピュリズム政治、すなわち大衆民主主義そのものであり、近代民主主義が抱える特質であり、かつ宿命のように見える。
 ある一定の価値観を抱くジャーナリストが、出来事に関する評価をしながら意味づけを行う活動、それがジャーナリズムの仕事。
 出来事の持つ重要度について、そしてそれを測るニュースバリューそのものについて、ジャーナリストはたえず問い続ける必要がある。その作業を通してのみ、真の意味での社会を揺さぶるスクープが生み出される。
 じつは厄介なことに、読者・視聴者の多くも、同じニュースを、そして平凡な解説を待っている。「どのニュースを見ても同じ」といった不満を述べながらも、その一方で同じような映像や見出しが並ぶことで、そうした人々は安心感を覚えてしまう。
 社会におけるメディアの影響力が強まり、メディアと政治が不可分の関係になるというメディア政治が日常化し、それにともない政治がますます劇場化するようになってきた。それと並行して、「政策報道」の比重がますます軽くなり、「政局報道」が支配的になってきたという批判は絶えない。
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