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食品の迷信 [読書メモ2016]

『食品の迷信』 芳川充 2008/04

食品の迷信―「危険」「安全」情報に隠された真実とは
著者は(株)ジャパンフレッシュ代取。食品アドバイザー。 日本の食品に対する迷信を指摘する本。

 そもそも、食べるという行為には、少なからず危険がともなうもの。100%安全であるという保証はなく、証明もできない。
 食の真実が歪められている最大の原因はメディアにある。
 フードファディズムとは、ある特定の食品さえ食べていれば健康になるとか、逆に特定の食品を食べると健康被害が起こるといった、化学的な根拠に基づかない極端な思考を指す言葉。現在の日本人の多くがフードファディズムに陥っている。
 一般の消費者からは「中国産の食品は信用できない」と考えれれている。しかしこれは大きな誤解。国産も含め諸外国産の食品と比べて、中国産が際立って「危険」だという根拠はどこにもない。中国産食品の輸入違反率は平均以下。
 アメリカの食品輸入時の違反データ(2006年7月-2007年6月)を見ると、中国産より日本産の違反率が高い。
 中国産食品への拒否反応は中国という国そのものへの拒否反応が大きく影響を及ぼしている。
 「毒入りギョーザ事件」を「中国だから」と片付けるのは間違い。この件は「食品事故」ではなく犯罪性のある「事件」であり、毒物混入事件として考えるべき問題。
 耐震偽装からはじまって、食品偽装、建材偽装など、日本全国偽装だらけ。国産ウナギの8割が外国産。消費者の過度の産地信仰と、無知によって偽装表示が蔓延している。
 アメリカ防疫センターによると、「残留農薬で死んだ人はゼロなのに、天然由来の食中毒で年に何百人もが命を落とす」。イギリスの政府機関は「有機食品が通常の食品に比べて、より安全とかより栄養があるという化学的な証拠は、現時点ではない」との見解。
 天然=安全、化学物質=悪は間違い。
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断る力 [読書メモ2016]

『断る力』 勝間和代 2009/02

断る力 (文春新書)
著者は経済評論家、公認会計士。 断ることで人生が開けるという本。

 私は「断る力」を身につけるまで、「コモディティ」すなわち、他人でも十分に代替がきく汎用的な人員だった。仕事を減らすことで「コモディティ」から「スペシャリティ」への道が開けた。
 鶏と卵の関係なのですが、「実力があるから断れる」のだろうと言われる。それはまったくその通り。断るためには実力をつける必要がある。そのためには自分の実力が出せないような、余計な仕事をしている暇はない。
 生産性を上げる最も重要で、かつ効果的な秘訣とは、「断る力」をつけるということ、これに尽きる。
 『史上最強の人生戦略マニュアル』(フィリップ・マグロー)の中の法則、「事実なんてない。あるのは認識だけだ」。自分が正しくて相手が間違っている、というのはあくまで、私たちの認識。どちらが正しいかは問題ではない。問題は互いの認識が異なっていること。
 うつになる人は他人の評価に身を委ねてしまう人。「断る力」がない人ほど、うつ病にかかる可能性が増す。
 「断ってはいけない」「すべての人に好かれたい」という思い込み。閉鎖的な学校生活が、日本ではこの同調傾向を助長する。学校時代に身につけてしまった「認識のゆがみ」がある。
 ネットの掲示板で攻撃性の高い人は、「自分が相手より優位である」ということを認めて欲しい。自己承認欲求。
 私たちが相手からどのように対応して欲しいか、取り扱って欲しいかは、私たちの言動が相手に教えている。
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日本人が知らない世界のすし [読書メモ2016]

『日本人が知らない世界のすし』 福江誠 2010/08

日本人が知らない世界のすし (日経プレミアシリーズ)
著者は東京すしアカデミー代表兼校長。 世界のすし事情とそこで働く日本人についての本。

 海外の人たちは日本を知りたがっている。しかしながら、そのことに最も気づいていないのは日本の中にいる多くの日本人なのである。
 実は戦前まで、握り寿司というのは東京を中心にした郷土寿司のひとつであった。戦後の食糧難の中、GHQは飲食業緊急措置令で規制した。そうした中で、江戸前寿司だけが特別に営業認可を与えられた。お客が米を持ち込んで握り寿司と交換し、店は加工賃を受け取るというものだった。その結果、握り寿司を売る店が全国に広がった。
 ロールの元祖となった「カリフォルニアロール」が考案されたのは70年代初頭のロサンゼルス。当時のアメリカは生魚を食べる習慣がなく、海苔も好まれなかった。そこで、トロの食感に似ているアボカドを使い、海苔を裏巻きにして、カニの身とマヨネーズを入れて巻いたのだ。
 大まかな傾向として、欧米では、寿司の味は「酢飯の酸味」よりも、「甘辛くてスパイシー」な味が好まれる。 寿司を食べることのできるレストランは、(世界で)総計5万店を超すだろう。
 醤油の輸出実績は国ごとに集計されており、各国の日本食の普及状況を反映している。
 イギリスでは食材の味よりもフードビジネスという観点で日本食を考えている。だから日本人が『本格派の味を』と唱えても、それではなかなか拡大しない。
 ロシア人はウナギがお気に入りのようで、鰻重は今や定番の一品となった。
 世界では急速に「魚食」が進んでいる。世界の食用魚介類の供給量は1963-2003の40年間に約3倍に増加した。これに対して日本は逆に減っている。
 海外では手袋をしながら寿司を作ることが義務づけられている国が多い。
 メルボルンの寿司職人はほとんど中国人と韓国人。日本人の寿司職人の友達がいることは、お客さんにとってステータス。
 日本に寿司を学びに来る人たちが増えている中で特徴的なのは、富裕層のためのプライベートシェフや、料理学校で教えている先生クラスがコンスタントにやってくるようになったことだ。
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お皿の上の生物学 [読書メモ2016]

『お皿の上の生物学』 小倉明彦 2015/09

お皿の上の生物学
著者は大阪大学大学院教授。専門は神経生物学。 料理に関係した生物学のトピックや雑学の本。

 第5の原味「旨味」を提唱した池田菊苗は、グルタミン酸を抽出し「味の素」をつくった。池田は新設された理研の科学部長に就任した。「ふえるわかめちゃん」の理研ビタミン、理研ゴム(現オカモト)、理研感光紙(現リコー)は理研から生まれたベンチャー。
 そもそも光には波長という属性はあるが、「色」という属性はない。ただ動物の脳が光の波長を「色」という感覚に割り付けているだけだ。
 ナデシコを英語でpinkという。ナデシコの代表的な色だから、淡紅色をナデシコ色=pinkという。青色のナデシコはblue pink。
 西洋では筆記用インクとしてイカ墨が重用されてきた。なぜ東洋の墨ように煤(すす、純炭素)を筆記に使わなかったのか、不思議。
 最近(2013年)マンダムから、中年男性の頭皮からはジアセチル(C4H6O2)が揮発しており、これが中年男性特有の脂っぽい匂いの本体だ、という報告が出された。
 (丼などで)蓋をすると保温されるのは、熱伝導や熱放射の抑制効果より、料理の上に飽和水蒸気の層を設けて、それ以上の蒸発を防ぐ効果のほうが大きい。
 東アジアでは、歴史の始まりとともにカラトリー(食器)があり、手づかみで食事をすることはしなかった。中国では紀元前から(紀元前6世紀の孔子のころには間違いなく)箸と匙(さじ)を使った。欧州で食事用のナイフ、スプーンが用いられるようになったのは17世紀以降。それまでは手づかみだった。
 日本のクリスマスのチキンはKFCの販売戦略。バースデー・ケーキ型のクリスマス・ケーキは日本独自で、不二家の販売戦略によるもの。
 病院の寝台をベットと呼ぶのは、ドイツ語のBettであって、英語のbedの訛りではない。
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3月第4週に読んだ本(まとめ) [既読一覧]

『江戸めしのスゝメ』 永山久夫 2011/10
『食卓のメンデル』 ニーナ・フェドロフ 2013/04
『お茶の歴史』 ヘレン・サベリ 2014/01
『日本の居酒屋文化』 マイク・モラスキー 2014/03
『受験算数』 高橋誠 2012/03
『ミサキア記のタダシガ記』 三崎亜記 2013/06

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江戸めしのスゝメ [読書メモ2016]

『江戸めしのスゝメ』 永山久夫 2011/10

江戸めしのスゝメ (メディアファクトリー新書)
著者は食文化研究所所長。 江戸時代の食文化を紹介する本。

 江戸は独り者の男がひしめく大都市であった。重宝されたのが「菜屋(さいや)」と呼ばれるおかず屋であった。これらのおかずは4文前後(70~80円)で買うことができきた。菜屋に並んでいた煮物と同じく、味噌汁は江戸庶民が欠かさず食べていた日常食だ。こうした江戸時代の庶民が食べた食事=「江戸めし」が現代人の食卓に必要だと考える。
 江戸時代の食事内容の大きい転換点は、元禄期(1688-1704)に白米を食べる習慣が江戸庶民のあいだに生まれたこと。白米が定着する前は、玄米をはじめとする雑穀中心の食事。
 元禄頃までの江戸には、独自の文化らしきものはあまり存在しない。大部分が「下りもの」と呼ばれる京都・大阪からの物資に頼っていた。庶民の主食は玄米の他、麦、豆、そば、黍(きび)、粟。主食の他は野菜や海藻、近海の魚介類が並ぶ程度。
 江戸時代の日本の人口は3千万人程度。対して米の生産は約3千万石だった。単純に計算すれば1人1石(約150kg)。農民の皆が困窮に耐え忍びながら暮らしていたわけではない(飢饉のときを除く)。
 江戸時代の農民が広く共通して食べていたのが大豆食品。納豆や味噌汁、煮豆に豆腐。「江戸めし」というのは基本的に、現在でも当たり前に食べている料理。
 朝四ツ時(午前10時)に食べる軽食が「四つめし」、昼八ツ時(午後2時)に食べるのが「八つめし」で、その名残が「おやつ」である。
 1日3食が定着したのは室町時代から江戸初期にかけて。
 江戸の庶民が白米を大食した結果発生した病気が「江戸煩(わずら)い」、すなわち脚気。
 江戸の娘の好きなもの、「芝居、コンニャク、イモ、カボチャ」。
 「江戸めし」の発展を象徴するものが屋台文化。料理の種類は天ぷら、鮨、おでん、鰻の蒲焼、焼き芋、ゆで卵など。1品だいたい4文。
 「マクガバン・レポート」によれば、現代人が食べるべき理想の食事は、白米食が定着する前に日本人が食べていた食事。
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食卓のメンデル [読書メモ2016]

『食卓のメンデル』 ニーナ・フェドロフ 2013/04

食卓のメンデル  科学者が考える遺伝子組換え食品
著者はペンシルバニア大学教授。 遺伝子組換え食品の安全性についての本。

 野生の植物を食物に変化させることは、植物の遺伝子の変化を必要とする。同様に、収穫を増やすことも植物の遺伝子を変化させるということ。数千年にわたり、人々は植物を摘み、選択してきた。
 GMO(遺伝子操作された作物)は激しい抵抗にあった。チャールズ皇太子は「危険で、神に反する計画だ」と述べた。この抵抗が生じる理由の一つは、遺伝子工学、遺伝子組換えなどの名称にある。植物が工学的に処理されているという概念は、人々に驚き・不安を与えた。
 ビタミンAが欠乏すると、最初は暗がりで目が見えにくくなり、目が乾燥するようになる。毎年、2億人を超える子供がビタミンA欠乏による失明の危険にさらされている。そこでビタミンAを含む米が待望された。インゴ・ポトリクスは1999年、ベータカロチンを含有する米「ゴールデンライス」を作った。
 ゴールデンライスが批判されるならば、別の種に属する小麦とライ麦をかけ合わせたライ小麦の危険性と比較できなければならない。ゴールデンライスには分子的手法が、ライ小麦には化学的手法が使われたが、どちらも実験室でつくられたという点は同じ。しかしライ小麦は自然食品コーナーに並べられ、一方ゴールデンライスは、フランケンフードと非難されている。
 果肉が赤いグレープフルーツの品種リオレッドは1968年熱中性子線を照射して作られた。ピンクグレープフルーツは、すべて1907年フロリダで見つかった突然変異のクローン。しかしこのことを気にする人はいない。
 突然変異の誘発など、遺伝子組換えとは異なる方法で遺伝子を変化させた、何百万もの植物が、毎年屋外で栽培されている。放射線や化学物質を使ってつくられた作物に(店頭で)「突然変異育種」と表示されることはない。
 日本の小麦「農林」とメキシコ小麦の交配で生まれた半矮性小麦が、「緑の革命」の始まり。
 遺伝子が別の遺伝子に飛び移る現象・因子をトランスポゾンという。トランスポゾンのない生物はほとんどいない。ヒトゲノムの半分はトランスポゾン。
 人が摂取する化学物質の99%以上は天然物。コーヒーは1000種類を超える化学物質を含有する。
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お茶の歴史 [読書メモ2016]

『お茶の歴史』 ヘレン・サベリ 2014/01

お茶の歴史 (「食」の図書館)
著者は食物史研究家。英ヨークシャー出身。 世界的なお茶の歴史をまとめた本。

 茶、それはカメリアシネンシス(チャノキ)という常緑低木の葉を乾燥させて、沸騰した湯で抽出した飲みもの。
 teaという言葉は、中国福建省アモイのt'e(テイ)という言葉から生まれた。アモイからはじめてヨーロッパに茶を輸入したオランダ人はthee(ティー)と呼び、それが英語でteaになった。上級官吏の言葉(マンダリン)で茶はchaだった。それが他の言語に伝わって、インド、ペルシア、ロシア、トルコでchai(チャイ)に、アラビア語ではshai(シャイ)になった。
 チャノキは中国種、アッサム種、カンボジア種の3種類に大別され、種によって風味も質も異なる。
 チャノキは、通常海抜300mから2000mの地域で栽培される。一般に海抜の高い地域で栽培された茶ほど風味がよい。
 どんな種類のお茶になるかは、茶葉の製法によって決まる。茶には白(はく)茶、黄(き)茶、緑茶、青(せい)茶(烏龍茶)、黒(こく)茶(紅茶)、プーアル茶の6種類がある。
 不醗酵茶として有名なのが緑茶。青茶は半醗酵茶。完全に醗酵されたお茶を黒茶という。西洋では「紅茶」と呼ぶ。
 中国で紀元前1世紀には、四川の人びとは茶葉をお湯で煎じて飲んでいたらしい。紀元350年頃の辞典『爾雅』に、お茶に関するはじめての記述が載っている。唐の時代(618-907)に質の良いお茶が作られるようになり、上流階級、学者、僧侶に愛飲された。8世紀後半には中央アジアや日本にお茶が輸出されるようになった。茶は中央アジアの西側やその先にはそれほど浸透しなかった。イランや中東ではカフワ(コーヒー)のほうが好まれた。
 ロシアは独自の喫茶の習慣を育んだ。重要なのがサモワール(「自分で沸かす」という意味のロシア語)だ。
 19世紀モロッコに茶を伝えたのはイギリス商人。モロッコ人は生のミントと砂糖で緑茶を味付けする独自の飲みものを作りだした。ミントを入れた緑茶を飲む習慣は、北アフリカからアラブの国々へ広まった。
 17世紀、中国の茶がヨーロッパにはじめて輸入されたとき、飲み薬だと考えられていた。イギリスにはじめてお茶が伝わったのは1645年頃といわれている。
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日本の居酒屋文化 [読書メモ2016]

『日本の居酒屋文化』 マイク・モラスキー 2014/03

日本の居酒屋文化 赤提灯の魅力を探る (光文社新書)
著者は早稲田大学国際学術院教授。 日本の居酒屋文化と各地の飲みある記。

 「居酒屋は味と価格だけではない、五感をもって満喫する場所である」というのが私の持論。居酒屋は酒とつまみ以外に、何を提供しているのだろうか。
 都市社会学では、このような空間を「第三空間」や「第三の場」と呼ぶ。だが日本の赤提灯には、さらに独自の醍醐味がある。 私が居酒屋で注目したいのは、物の流通および消費ではなく、人との出会いおよび交流、さらに人・店・街の重層的な関係である。
 日本ほど多様な呑み屋をもつ文化は世界にないと思う。しかも居酒屋に限らず、現在の日本の飲食文化全般を見渡せば、多種多様なヴァリエーションがあることが目につく。パリを訪れたとき看板に「すし・てんぷら・やきとり」と書いてあったので、どうしても違和感を覚えた。日本では考えられない組み合わせであり、美食の王国フランスに比べても、日本の食文化はきわめて細分化されている。
 喫茶店であろうとバーであろうと、外国から入ってきた飲食文化を徐々に変容させて、独自のものに昇華させることは日本の十八番であり、和・洋の分類には限界がある。
 社会学者の橋本健二によれば、東京では呑み屋の客層がだいぶ変わったそうだ。すなわち、従来労働者階層の客が集まっていたような店でも、中産階層のサラリーマンがかなりの比重を占めるようになり、いままで常連だった肉体労働者たちは安い立ち呑み屋にすら入る余裕がなくなったというのだ。
 立ち呑み屋文化にかけて、東京は大阪の足元にも及ばないだろう。東京の多くの立ち呑み屋はこの十数年の間に現れたばかりなのに、大阪にはバブル以前からずっと頑張ってきた老舗が散在している。
 沖縄では立ち呑み屋を見た覚えがない。呑み屋の形態として好まれていないように思える。
 どういうわけか、名古屋の焼き鳥屋は営業が軌道に乗ってくると、すぐに2号店3号店を出すようだ。猫も杓子も「焼き鳥帝国」を築き上げようとしているような印象を受ける。
 「角打ち」とは酒屋での立ち呑みのこと。関西ではもっとも安上がりの立ち呑みスタイルとして定着している。
 東京近辺で闇市を疑似体験したければ溝口に出かけるとよい。実際に戦後初期の闇市に由来する呑み屋がある。
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受験算数 [読書メモ2016]

『受験算数』 高橋誠 2012/03

受験算数――難問の四千年をたどる (岩波科学ライブラリー)
著者は算数教育史家、ライター。 昔の人がどのように算数の問題を解いてきたのかという本。

 「〇〇算」の半数は江戸時代からあったもの(分配算、鶴亀算、旅人算など)、残り半数(植木算、仕事算、時計算、濃度の問題など)は明治時代の中学受験で生まれた。
 鶴亀算の解き方は紀元1世紀の中国からあった。ただし問題に登場するのは「兎と雉」。初めて「鶴と亀」に替えたのは江戸時代の和算書。
 江戸時代は0の概念が未成熟だった。江戸時代は「一時(いっとき)」の長さが不定の「不定時法」だった。このような時間観からは、複雑な速さの問題はありえなかった。
 歴史を調べると、人類は未知数を求める問題をまず「アテハメ」で解いていた。エジプト、バビロニア、インド、中国、どこでも方程式を知る前は「アテハメ」で解いている。
 「百分率(パーセント)」は、明治時代に日本でも使われるようになった。江戸時代には、金座銀座の職人の間では小判の金の濃度を「金位」として計算したが、和算書には濃度の問題が見られない。
 和算家は中国の数学書で分数の計算を知っていたが、一般庶民が知るようになったのは明治から。角度を測ることも江戸時代の庶民は知らなかった。
 混合算は明治に西洋からもたらされたもの。起源をたどると13世紀前半の数学者フィボナッチの『算板書』。
 混合算は金や銀の濃度の問題が中心だった。この問題を最初に解いたのがアルキメデス(紀元前287-213)。
 古代エジプトには、ビールに水を混ぜる問題があった。紀元前1650年頃書かれたパピルス(リンド・パピルス)に記されている。
 ヨーロッパでは各地の国家や領邦がコインを造っていたので金銀の濃度が問題となった。中国では銅銭が主だったので含有率は問題にならず、混合問題が生まれなかった。
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